山口県周南市の奈古屋蔵人(なごやくらんど)屋敷跡を紹介します。
奈古屋蔵人(なごやくらんど)とは
奈古屋蔵人(なごやくらんど)は、江戸時代中期の徳山藩家老です。
現在の周南市徳山付近は、江戸時代は長州藩の徳山支藩でした。
その徳山支藩で奈古屋蔵人は徳山藩主「毛利広寛、「毛利就馴」の2代に、16歳のころから30年間仕えました。
奈古屋蔵人の功績の一つに徳山藩の藩校・鳴鳳館(めいほうかん)を創設した功績があります。
鳴鳳館は同じ周南市内の御蔵本から8代藩主「毛利広鎮」の時移転し、現在は徳山小学校となっています。
奈古屋蔵人屋敷跡の撮影
屋敷跡の風景を撮影してみました。
奈古屋蔵人屋敷跡 全景
これが奈古屋蔵人屋敷跡です。
とはいってもほぼ屋敷は消えており、地方銀行の建物の一部に石碑が刺さっていただけでした。(石碑を一生懸命撮影したともいえる)
奈古屋蔵人屋敷跡 近景
さすがにアップにしないと何が何だか分からないと思うので、近づいて撮影しました。
このように石碑と看板だけです。
地方銀行の壁が美しいです。
周りのレンガの様子を見ると、もはや地方銀行の一部で文字が良く読めません。
奈古屋蔵人屋敷跡 正面
石碑から「奈古屋蔵人屋敷・・・」まで読めます。
あとは背が高い人なら読めるでしょうが、私の背の高さだとレンガが邪魔でよく読めません。
内側に重石が2つほど見えます。
それから右の木は伐採されたようですね。
奈古屋蔵人屋敷跡 右側
右側からも撮影してみましたが、草が横に生えているだけです。
何か看板だけでなく、屋敷を思い浮かべるようなものがあればうれしいです。
ただ、それはぜいたくなのかもしれません。
そもそも、商業施設の一部に石碑が刺さっているのです。
(何でこうなってしまったのか経緯は気になりますが、こちらの地方銀行さんのご厚意で石碑を置かせてもらっているのだと思います)
奈古屋蔵人屋敷跡 広場
実はこの石碑のある場所から後ろに下がって、左側に目をやると広場があります。
このように座ることができる広場です。
よくよく考えると、この地方銀行はよく広場が用意されている気がします。
残念ながら徳山の街は徳山空襲の影響もあり、萩市のような城下町はほとんど残っておらず石碑ばかりになっています。
しかしながらこのような微かな痕跡を辿ると、この街にも歴史があったんだなと思うことができます。
アクセス
JR徳山駅から徒歩10分程度です。
こちらの史跡だけを目当てに見に来るのも変なので、周囲も歩いて回ったほうが良いでしょうね。
以上です。