山口県周南市に、文化堤(ぶんかつつみ)という名のため池があったので紹介します。
将来的にはここはなくなるのではないかということから、記録に残そうかと思います。
文化堤とは
付近の看板に以下のようなことが書かれていました(要約します)。
山手から1本の川が流れていますが、この地の地形からたびたび水不足が発生し、稲枯れの被害が発生しました。
算用師の西林八左衛門と庄屋の神本善吉はため池の必要性を主張して、萩藩にお願いしましたが、財政難を理由にお取下げになりました。
文化11年長い日照りが続いて不作となったところ、代官の佐藤権兵衛教忠は不作を検視し、庄屋の浜田伊左衛門家と謀って、ため池の築立を願い出ました。
酒屋の浅海長兵衛も援助しました。
村民3550人が工事に参加しました。
看板とここの地形から察するといろいろ分かってきました。
名前の由来は文化15年(1818年)に構築されたことのようです。
また、別名で沢田堤と呼ぶこともあるようですが、ここの地名のようです。
1本の川とは西光寺川だと思いますが、確かにここより低い位置に流れているのでこのため池の位置は水不足になりそうです。
算用師、庄屋、代官、別の庄屋、酒屋、多くの村民(3550人)が関わったと記載されていることから多くの方から悲願されたため池であったと思われます。
風景
実は既にほとんどが埋め立てられて、石碑とため池のほんの一部が残っていました。
このように石碑が立っており目の前はきれいに舗装された道路なのですが、この辺りは少し前までは広い範囲でため池でした。
石碑
真ん中の石碑が一番古く、表の字はよく読めません・・・。
裏に「文化十五年虎・・」のように書かれています。※1818年ですね。
こういうのを見ると、たわしで綺麗にしてしまいたいのですが、歴史的価値とか考えるとダメなんでしょうね。
少し新しい石碑で「改築記念碑」もありました。
こちらは裏に昭和62年3月と書かれていました。
最後に左側の石碑ですが、人名が多く記載されていたので写真を控えました。
こちらが最新の改築記念碑のようです。
並び順としては、下記のようになるかと思います。
- 真ん中(文化十五年=1818年)
- 右(昭和62年)
- 左(最近)
ため池
わずかにため池部分が残っていました。
水は汚い・・。
この部分は水が干上がっており、ため池としてはほとんど機能していなさそうです。
周りは新しい住宅が密集しています。
時代の流れにより既にため池の需要はなくなっており、現代では住宅のほうが不足しているようです。
アクセス
横に山陽新幹線は通っていますが、駅はとても遠いです。
タクシーか自転車がよいでしょう。(が、これをわざわざ見に行くのも…)
以上です。