「高杉東行療養の地」という、歴史に詳しくない人間からすれば高杉晋作に関する何とも不思議な地があります。
そのためどんなところか、いつも通り現地を確認してみることにしてみました。
高杉東行療養の地とは
幕末に高杉晋作が療養した場所のことです。
幕末、幕府側との長州征伐(四境戦争)の小倉口における戦いは、高杉晋作が指揮を執りました。
小倉口の戦いは小倉戦争とも呼ばれ、長州藩にとっては人数的に不利な状況でしたが高杉晋作は戦いを勝利に導きました。
しかしながら、この戦いにおいて高杉晋作は持病の結核を悪化させてしまいました。
この下関の地で小さな家を建てて療養したことから、ここが療養の地と呼ばれています。
なお、「東行」とは、晋作の号(別名)です。
高杉東行療養の地の場所
場所は住宅地のど真ん中で、初めて来た人はよく探さないと気が付かないです。
なお、周辺は住宅が密集しているので、大声を出したり周囲の迷惑にならないように静かに探索することにしましょう。
高杉東行療養の地の風景
ここの風景は一言でいうと、さっぱりしています。
現在は坂道にある石碑のみで、周辺は何もありません。
遠巻きから見たところ
遠巻きから見ると石垣に埋もれており、うっかり通り過ぎそうです。
実は私も通り過ぎて、幼稚園に着いてしまい引き返しました。
高杉晋作のイメージを期待してこちらに来られる方は、もしかしたら期待外れな印象を受けるかもしれません。
ただ、高杉晋作にしてみればこのような殺風景で静かなところであることが、療養に最適だったのかもしれません。
個人的な意見としては、荒々しく派手なことばかりが高杉晋作ではなく、これも高杉晋作の人生の一部であることを考えれば、心に深く染み入るものがあります。
石碑の周辺写真
周辺は石碑と簡易な説明版のみです。
さすがに香炉みたいなものはありませんが、それこそ手前のスペースに何か夏ミカンやリンゴなど余計なものを置きたくなります。
石碑の拡大写真
次に石碑をズームで写真を撮ってみました。
何やら漢詩らしきものが書いてあるのですが、その場では読み取れませんでした。
調べてみると、「落花斜日恨無窮~」という内容は高杉晋作が療養中に読まれた漢詩とのことです。
補足
なお、最後に補足しますと、実際の療養地はここより少し先にあったとの記載が説明書きにありました。
するとなぜこの場所に石碑があるのでしょうかという疑問があるのですが・・、大人の事情かもしれませんね。
少し登りきったところが見晴らしがよいので、そこがそれっぽい気がしますが、確認するすべが見つかりませんでした。
以上です。