下松発祥の松、「鼎の松」(かなえのまつ)を紹介します。
鼎の松とは
鼎の松というのは、下松の地名の由来となる三株の大きな松が、かつて鼎の足の形であったことから名付けられています。
鼎とは3本足の昔の中国の器です。
現在は下記の写真の通り、松は1本のみが残っており、当時の松から見て5代目の松となっています。
下松の由来との関係
鼎の松が下松の由来になっていることは、少々追加の説明が必要です。
下松の由来の物語がこの地はありまして、要約するとこのような物語です。
下松の由来
下松にはかつて星が降って松に引っかかり、更にはその星は光り続け、神の託宣がありました。
その神託の内容は「3年後にこの地に異国の太子がやってくる」という内容で、実際に百済の太子がやってきました。
その星が引っ掛かったのが鼎の松でした。
そして松に星が降った(くだる)ということで→降る松(くだるまつ)→降松(くだまつ)→下松(くだまつ)と、現在の市の名前の由来になりました。
伝説と史実の境があいまいなところが、日本史らしくて良いですね。
ただ個人的には松は海、星は吉凶のような、例えば河童のように何等かの言い換えのようにも見えなくもないです。
鼎の松の場所
現在の鼎の松は5代目となり、下松駅北口から出てすぐ近くの公園にあります。
3代目は下松スポーツ公園に展示されており、4代目は枯れたとのことです。
5代目鼎の松の様子
これらを踏まえたうえで金輪公園へ行き、当地の松を観察してみました。
金輪公園(かなわこうえん)
まずは松が存在する公園の表札です。金輪公園と記載されています。
金輪は「かなわ」であり、鼎(かなえ)からきているようです。
金輪神社(かなわじんじゃ)
なんと公園の中に神社があります。
子供用の砂場があり、松があり、神社です。
そして、この神社は「金輪神社」という名前の神社でした。
案内板がないことから、鳥居の横の松はただの松のようです。
鼎の松(かなえのまつ)と鼎
鼎の松はこちらです。鳥居から少し離れた位置にありました。
昔は降臨松、連理松、相生松の3樹で、鼎の形だったとのことです。
全体を見てみると、5代目鼎の松はこのようになかなか高い松のようです。
石碑
近くに鼎の松について記した石碑がありました。
内容は少し読みづらいのですが、下記のように記載されています。
下松発祥之地
七星降臨鼎之松
梅田東洋謹書
梅田東洋については情報がありませんでした。
以上です。