李鴻章道とは
李鴻章道とは日清戦争の講和条約(下関条約)を結ぶ際に清の代表の李鴻章が宿泊地「引接寺」から交渉地「春帆楼」まで移動する際に使われていた道のことです。
なぜ下関の細道に人の名前が付けられたか
下関条約の清側の代表、李鴻章は日本との交渉にあたり最初は宿泊地の「引接寺」から大通りを通って、講和会議の会場の「春帆楼」まで移動していました。
しかしある日、日本人青年「小山豊太郎」から狙撃をされて命を奪われそうになりました。
それから人目につかない細道を通るようになり、この道に「李鴻章道」という名前が付けられました。
李鴻章道の場所
日清講和談判場の「春帆楼」と「引接寺」を結ぶ細道です。
また、海沿いには当時の大通りと思われる9号線が現在もあります。
付近には赤間神宮もあります。
李鴻章道の端から端までの風景
今回は李鴻章が交渉地点「春帆楼」から宿泊地「引接寺」へ帰り道として歩いたルートの風景を紹介します。
普通は宿泊地から交渉地だろ!と思われるかと思いますが、「引接寺」側の地点がやや迷いやすいため、逆方向から紹介します。
日清講和記念館を目印にしたほうが、迷われず歩きやすいかと思われお勧めです。
スタート地点:日清講和記念館
「日清講和記念館」は下関条約の会談で使用された調度品、椅子が講和会議の部屋を再現して展示しています。
また、こちらの日清講和記念館の横に、会談が行われた「春帆楼」も現存しておりますが、現在も営業しており邪魔になるので割愛しました。
案内図
「日清講和記念館」から、少しだけ坂を上ると案内図があります。海が見えて綺麗な景色です。
細道ですが足元はしっかり整備されていて、とても歩きやすいです。
後ろを振り返ると「春帆楼」も見えなくなりました。
竹藪がうっそうとした地点
しばらく歩くと、竹藪がありました。こちらの場所は少し暗めです。
中間地点の案内看板
李鴻章道の終端地点をとっくに過ぎたのではないかと歩行者が不安になるころに、案内看板が出てきます。行き止まりまで、まだまだ続きます。
下り階段がある地点
ある程度体験して十分だと判断した場合、途中の階段で下って、別の場所へ移動することもできます。
しかし今回は終端まで紹介するため、先に進みます。
終端地点
なんと引接寺はまだ先なのですが、ここで李鴻章道は終わってしまいました。
左は下り階段、右側は登り階段になっています。
右側に上り階段はあります。
しかし看板は「紅葉館 藤原義江記念館」の看板です。
「引接寺」へのルート
現在は引接寺は階段を下って、おもての大通りを通って移動できます。
しかし当時、李鴻章はどのように移動したのでしょうか。
以前と道が少し変わっているかもしれません。
残念ですが、李鴻章道はここで以上となります。