亀山八幡宮を訪ねた際に、亀山砲台跡を見つけたので調査結果を紹介します。
亀山砲台とは
幕末に長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカとの間で下関戦争という戦争が起きていました。その時に使用された砲台、16砲台の内の1つが亀山砲台です。
下関戦争では久坂玄瑞の指揮により、豊前田浦沖に碇泊しているアメリカ商船に向かって砲撃が行われました。
またこの亀山砲台の他に有名な砲台としては、「前田砲台」があります。
亀山砲台跡の場所
亀山砲台跡は亀山八幡宮の中にあります。
目の前は唐戸市場で、現在も人が多く活気のある場所です。
数百メートル移動すると、赤間神宮や本陣伊藤邸もあり長州藩としては要所となっている場所なのがよくわかります。
亀山砲台跡の風景
亀山砲台跡
こちらが亀山砲台跡となっている場所です。
現在は看板と横に細長い石碑があるのみとなっています。
(煙草を吸うスペースになっており、若干粗末な扱いになっていることが気になります)
砲台跡の裏側(階段から)
看板のみだと寂しいので、どこかに痕跡がないか調査してみました。
裏側から見てみると心なしか、石垣が焦げているように見えました。
砲台跡の裏側(駐車場側から)
亀山八幡宮のすぐ下が駐車場のため、下から撮影してみました。
ここで注目していただきたいのは「世界一のふくの像」ではなく、亀山砲台跡付近の焦げとなります。
こちらも聞く人に聞けば何か分かるのでしょうか。
亀山砲台前からの景色
イギリス・フランス・オランダ・アメリカに向かって大砲から砲撃した、亀山砲台から関門海峡を見た風景です。
向こう側は福岡県北九州市の門司になりますので、関門海峡が如何に狭い海峡なのかが実感できます。
狙い撃ちするにはよさそうなのですが、長州川としては、高低差も生かせず、当時は大砲の性能も外国勢力より劣っていたため、想定通りに成果が出なかったとのことです。
看板には社殿をかすめただけだと書かれていましたが、それも長州らしく負けず嫌いでポジティブでよいかもしれません。
では大砲はどこにいったのか?
現在の亀山砲台跡には石碑と看板しかありません。
では大砲はどこに行ったのかというと、フランス・パリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)の中庭に展示されているとのことです。
下関戦争は長州が惨敗し外国勢力との圧倒的武力差を知る戦争ですが、戦利品として大砲も持ち帰られてしまいます。
ただ1門のみが廃兵院から貸与される形で、功山寺に展示されています。
以上です。