山口県下関市にある床屋発祥之地の石碑について、現地で調査したことを紹介します。
下関市が床屋発祥の地と言われる所以
下関が床屋発祥の地となった所以について、大筋ですが現地の看板に下記のことが書かれていました。
看板の内容は落ちもあり面白いのですが、発祥の地の理由としてはわき道にそれので、内容を端折って記載します。
鎌倉時代の中期(1264年~1273年)、木京都御所の亀山天皇に仕えていた藤原基晴という武士がいました。
藤原基晴は宝刀を紛失するのですが、その後職を辞し、宝刀を探す旅に長門国下関に来ました。
藤原基晴は親子で下関に来てから、当時下関で髪結をしていた新羅人からその技術を学び、往来の武士を客とした髪結所を開きました。
店の床には亀山天皇と藤原家の先祖を祭る祭壇があったので下関の人々は床の間のある店、転じて「床の場」、さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになりました。
床屋発祥之地の石碑の場所
亀山八幡宮の立派な鳥居に圧倒され気が付かない人も多いかもしれませんが、実は亀山八幡宮の横の狭いスペースに配置されています。
床屋発祥之碑の紹介
床屋発祥之碑の石碑を様々な角度で見てみました。
床屋発祥之碑の全体像
まずは石碑の全体像です。
こちらの石碑は、おそらく床屋で使用する櫛とカミソリを表していますね!(写真を後で見返して気が付きました。)
真ん中に鎮座している丸い物体は何でしょうか。個人的には石鹸かと推測しています。
2022/04/06追記 : 丸い物体は頭をイメージしたものだと判明しました。
丸い石に刻まれた「床屋発祥之地」
こちらの石鹸と思われる石には「床屋発祥之地」との文字が刻まれていました。
床屋発祥之碑の後ろに伸びる木
石碑の後ろにある木の写真です。
私の知識ではこちらの木の意味は不明ですが、木の種類を調べると何かわかるかもしれません。
伸びすぎた髪を表すかのようにフサフサした木ですが、髪と一緒で切るタイミングを逃しただけで、何も意味はないのかもしれません。
長年山口県に住んでいましたが、下関市が床屋発祥の地であることはこのように現地を歩いて、現地の石碑を見てから初めて気が付きました。
何かがあったことを形として残すことは、意外に大事なことなのかもしれません。
基晴の物語の続き
藤原基晴の物語には続きがありまして、実は周囲の協力もあり、宝刀は無事見つかり天皇に返還されたとのことです。
藤原基晴の築いた髪結文化は後世に受け継がれて、江戸時代まで影響を与えました。
以上です。