山口県柳井市に、かつて本店を置き県下最大の銀行であった、旧周防銀行の本店建物を訪ねたので紹介します。
周防銀行とは
周防銀行は、明治31年、地元有力者らの出資により設立された銀行です。
一時、百十国立銀行(現山口銀行)を抜き、明治末期には県下最大の銀行にまでなりました。
しかし、県下多数存在していた他の銀行同様、その後に経営が傾き大正3年に倒産しました。
※余談ですが、百十とは当時の国立銀行の1から割り当て順の番号です。今でもその名残で番号を冠した銀行が全国各地にあります。
旧周防銀行本店の所在地
柳井駅から北に500メートル程のあたりのところ向かった先にあります。
徒歩で十分に向かえる場所となります。
また、他の観光スポットの入り口的な位置、かつ案内所の役割にもなっているので、どちらに観光されるにしろ、最初にこちらに行くのがおすすめです。
※現在は柳井市街並み資料館として利用されています
旧周防銀行本店の外観
付近の看板によれば、山口県内で最も古い銀行建築で、明治40年(西暦1907年)に建物が建設されました。銀行自体の設立は明治31年なので、設立から9年後の建設です。
その建築は日本銀行技師の長野宇平治によってなされ、現在は国登録有形文化財となっています。(これは個人的な感想ですが、私はこの看板で生まれて初めて日本銀行技師という仕事を知りました。)
なお、長野宇平治は山口銀行の本社建築も手掛けています。
建物は以前は山口銀行の所有でしたが、現在は寄贈されて、柳井市町並み資料館として使用されています。
そして、建物の中は無料で自由に観覧できます。
外観はモルタル塗りの洋風で、中も白い壁と木が調和した美しい造りです。
また、中の展示物も柳井市の街の模型図、柳井市出身の歌手のゆかりの品や、ピアノなど見ごたえある展示です。
旧周防銀行本店と油商「むろや」との関連
周防銀行本店の付近には油商の豪商「むろや」の屋敷があります。
一時期は西日本最大級の油商として数えられ、その勢力は自ら帆船を持つほどであり、小田家は士分格に取り立てられ、苗字帯刀を許されました。
柳井は油商を中心として、海運の要衝として発展した豪商が多く住む商業の街でした。
周防銀行は、その油商「むろや」の小田伴輔が柳井の資産家に呼び掛けて、資本金30万円をかき集め、誕生しました。
周囲の観光スポット
旧周防銀行を見終わった後は、先ほどの油商「むろや」、柳井の「白壁町並み通り」を通るのが順路かと思われます。
白壁と金魚の提灯が美しい街並みです。
以上です。