今回、Web上に長州藩における行政区画の「宰判」(さいばん)について、整理された情報が見つけられなかったので、まとめてみました。
(個人的にも長州関係の資料を勉強する上の基礎資料になるので)
基礎知識
まずは基本的な用語の整理です。
宰判(さいばん)
まず「宰判」とは長州藩(萩藩)における郷村の支配をする統治区域の単位のことです。
周防の国に10区域、長門の国に8区域で全部で18分割されています。
後の裁判という言葉の由来にもなります。
長州の本藩である萩藩の区域なので、長府、清末、徳山、岩国の各支藩嶺には置いていません。
宰判という言葉は長州藩独特の言い回しで、他藩では通じません。
もっとも現代でも言葉が通じる環境が限られていますが・・・。
代官(だいかん)
更に各宰判のごとに、管轄する「代官」という人が割り当てられています。
勘場(かんば)
代官がいる役所のことを、当時の言葉で「勘場」といいます。
他藩では勘場のことを代官所といいますね。
まとめると、宰判は区域、代官は人、勘場は役所です。
イメージ図は下の図です。(分かりにくい?)
そして勘場に関しては、残念ながら多くの遺構が失われていますが、
奥阿武宰判の勘場のように調査が進んだもの、浜崎宰判のように建物の一部が残っているものがあります。
宰判一覧
周防国(すおうのくに)
大島宰判(おおしまさいばん)
既に遺構はありません。
奥山代宰判(おくやましろさいばん)
遺構はありませんが、門を復元されたものがあります。
付近の岩国市本郷歴史民俗資料館に寄り道すると、楽しめると思います。
勘場跡住所:山口県岩国市本郷町本郷1526
前山代宰判(まえやましろさいばん)
遺構として、当時の建物の一部が個人宅として利用されています。
また、案内板があります。
勘場跡住所:山口県岩国市錦町広瀬
上関宰判(かみのせきさいばん)
既に遺構はありません。
勘場跡住所:山口県熊毛郡上関町長島
熊毛宰判(くまげさいばん)
既に遺構はありませんが、石碑と案内板があります。
勘場跡住所:山口県光市室積5-8-14
花岡宰判都濃宰判(つのさいばん)
遺構として石垣があり、石碑と看板があります。
都濃宰判勘場は別名で都濃宰判勘場とも呼ばれます。※所在地の地名
勘場跡住所:山口県下松市末武上1236-1
三田尻宰判(みたじりさいばん)
既に遺構はありません。
国指定史跡の雲英荘でヒントが得られるかもしれません。
徳地宰判(とくじさいばん)
遺構として石垣があり、看板があります。
騎兵隊の戦闘ががあったり、伏野小学校が建てられたり変遷が面白いので、歴史的ロマンは感じられます。
近くに熊野神社、昌福寺もあるので合わせて観光されるとよいです。
山口宰判(やまぐちさいばん)
勘場は当時、山口御茶屋に併設されていました。
既に遺構はありませんが、山口御茶屋跡に看板があります。
小郡宰判(おごおりさいばん)
既に遺構はありませんが、周防下郷駅近くの新丁公民館に看板があります。
長門国(ながとのくに)
奥阿武宰判(おくあぶさいばん)
敷地及び周辺の石組みと、看板があります。
平成5年度にむつみ村教育委員会により発掘調査が行われ、県史跡として指定されています。
当島宰判(とうじまさいばん)
既に遺構はありません。児童公園になっています。
浜崎宰判(はまさきさいばん)
遺構として大船倉と、案内板があります。
比較的きれいに遺構が残っており、屋根を葺いた建築物としてが当時のまま残されているのは、唯一全国でもここだけなので、一見の価値ありです。
勘場跡住所:萩市大字浜崎町
美祢宰判(みねさいばん)
現在の大田小学校のあたりにありました。
既に遺構はありませんが、学校の入口に案内板があります。
近くに、金麗社など大田・絵堂戦役の遺構があるのでそちらも併せて見ると楽しいかもです。
船木宰判(ふなきさいばん)
宇部市船木ふれあいセンターの付近。
既に遺構はありませんが、長門市役所の駐車場に石碑があります。
前身は「厚東郡宰判」であったが、水害により移設されました。
番外:厚東郡宰判(ことうぐんさいばん)
詳細不明。船木宰判の移設前の宰判。
吉田宰判(よしださいばん)
現在の吉田小学校のあたりにありました。
遺構として土塀と、案内板があります。
前大津宰判(まえおおつさいばん)
既に遺構はありませんが、長門市役所の駐車場に石碑があります。
先大津宰判(さきおおつさいばん)
現在の菱海中学校の中にありました。
既に遺構はありませんが、学校の入口に石碑と案内板があります。
以上です。