山口県周南市の児玉神社を紹介します。
児玉神社とは
児玉源太郎は周防国都濃郡徳山で生まれ、第4代台湾総督、陸軍大臣を務めた人物です。
日露戦争においては大将として従軍し、戦地で功績を挙げています。
その後、児玉源太郎は1906年病死します。
児玉神社は1922年(大正11年)に、当時の徳山町の前田蕃穂、外52名の有志により「県社児玉神社創立許可願」として内務大臣に提出され創設された神社です。
翌1923年、許可され「児玉将軍屋敷跡」に本殿、拝殿が創建され、昭和8年5月16日に県社にされました。
また、こちらの神社では毎年3月10日に例祭が行われています。
※ちなみに神奈川県の江の島にも同じ祭神を祀った、児玉神社がありますが、こちらでは山口県周南市の児玉神社を取り扱います。
児玉神社の風景
児玉神社の風景を紹介してみます。
児玉神社の鳥居
鳥居の前から児玉神社を撮影してみました。
起伏の無い徳山の中心街にある神社なので、長い石段はなく気軽に入りやすいです。
児玉神社の鳥居の左側
鳥居の左側には児玉源太郎についてどんな人だったか、経歴が詳しく書かれた看板があります。
文章が苦手な方でも、絵と共に説明されており分かりやすくなっています。
児玉神社の鳥居の右側
もちろん右側にも簡単な看板は置いてあります。
丁寧ですね。
徳足以懐遠
鳥居をくぐると「徳足以懐遠」という漢文の石碑がありました。
読みは「徳足るを以て、遠くを懐かしむ(とくたるをもってとおくをなつかしむ)」です。
意味はどうやら「任務・事業で、台湾統治を二人で行った時代が懐かしい」のようです。ただ、漢文の素養の無い私には定かじゃありません。
児玉源太郎が台湾総督を務めていた時代彼の下で政局局長として活動していた後藤新平の漢文で、後藤新平は児玉源太郎を大変慕っていたとのことです。
児玉神社の社殿
こちらが社殿を撮影したものです。
家紋は「二文字三つ星」という家紋のようです。
徳山七士碑
徳山七士碑が社殿の横にあります。
もともと同じ周南市内の遠石地区にあったようですが、児玉神社に移設したとのことです。
徳山七士(とくやましちひ)は、徳山藩で尊王攘夷派として活躍した7人のことです。
- 兒玉次郎彦
- 江村彦之進
- 河田佳蔵
- 井上唯一
- 本城清
- 浅見安之丞
- 信田作太夫
ベンチ
徳山七士碑の前にはベンチもあります。
頭の上の植物がすごすぎて、しっかり屋根ができています。
これだと多少の雨ならしのげそうですね。
アクセス
JR徳山駅から徒歩15分ぐらいです。
児玉公園を突っ切った先にあります。
以上です。