山口県下松市の「孝女おまさ頌徳碑」を紹介します。
「孝女おまさ頌徳碑」とは
「おまさ」とは
「おまさ」は漢字だと「阿満佐」と書き、女性の名前です。
こちらの石碑の建てられた位置からは数キロ離れた笠戸島の深浦の出身で、貧しい農家に生まれました。
父や母に孝行したことが時の藩主、毛利斉房、毛利斉煕に伝わり、米1俵、家、屋敷を頂き、99歳まで長生きをしました。
彼女は何かしら直接、藩や里へ貢献したというわけではないです。
しかしながら貧しいながらも親孝行ぶりが、周囲や藩主に伝わって褒美を与えられたというわけです。
おまさは現在の山口県の旧国名である防長の「防長三孝女」の一人です。
また、山口県下松市の旧地名都濃の「都濃三孝女」でもあります。
「孝女」とは
孝行な娘との意味です。
男女を理由に役割を区別しない現代日本では、日常的に使用しない単語です。
(時代遅れな言葉ですが、時代背景を知る資料とはなります)
「頌徳碑」とは
「しょうとくひ」と読み、偉人や先覚者などの徳をほめたたえる文章を刻んだ碑のことです。
頌徳碑の撮影
全体像
人の背丈よりも大きい石碑です。
1897年(明治30年)のものらしいですが、石製のためか綺麗に現存しております。
石碑の表面は読みづらいですが、横の簡単な説明板によりおまささんの生き様がなんとなくわかる気がします。
石碑のズーム画像
表面の文字を読めないかズームしてみました。
欠けている部分はなく、深く文字が刻まれているため文字自体は認識できるのですが、達筆で表面の文字はよく読めません。
ただ、途中「孝女阿満佐碑・・・ 正三位勲三等男爵楫取素彦撰文・・」と読み取れます。
そのことから楫取素彦(かとりもとひこ)さんが撰文されたようです。
楫取素彦はあちこちで撰文している長州藩出身の群馬県令(昔の知事)です。
台座
台座と石碑ががっちり接着されています。
「孝女おまさ頌徳碑」へのアクセス
JR下松駅からは歩いて25分のところにあります。
山口県下松市内の平田川の横に頌徳碑があります。
また工業高校と小学校の間でもあります。
周囲は車や歩行者の交通量が多いので、移動する際は注意が必要です。
その他のおまさのスポット
お将の出身地、笠戸島の深浦の周慶寺におまさの墓があります。
そちらについては別記事で、いつか上げようかと考えております。
どこかにおまさの肖像画もあるようですが、確認できませんでした。
以上です。