今回は少しマイナーな神社で、赤郷八幡宮という神社をご紹介します。
Web上にあまり情報がないばかりか、写真もあまりないので備忘録を兼ねて投稿してみます。
赤郷八幡宮の場所
赤郷というと、以前の記事でも挙げた美祢市の旧赤村になります。
赤郷八幡宮の由来
赤郷八幡宮は宇佐八幡宮より勧請し創建された多くの八幡様のうちの1つとなります。
門の表にあった赤郷八幡宮についての解説の看板を少しだけかいつまんでみました。
初期のものは厚東氏、大内氏によって造営されていたが焼失・大破もたまにあり・・・1596年ごろ毛利氏によって大規模に造営されたが、また焼失・・現在の社殿は1893年(明治26年)のもの・・
詳しいことは現地にいろいろ書いてあるのですが、ここは読めば読むほど不遇な経緯がある八幡宮のようです。
赤郷八幡宮の現地の様子
さて、現地の写真なのですが境内の写真を撮り忘れており、境内の頭の一部が写っている状態になりました。
なのですが、今でもきちんと手入れされており、きれいな八幡宮でした。
また、両サイドの木がなんとも立派で、神社本体の荘厳さを補助しているようです。
かつては近くに小学校があり、毎年夏祭りには子供たちが集まり、とてもにぎわっていたようですが、現在はどうなんでしょうか。
時期によってはまだ神楽も実施されているようです。
ただ、この地域の小学校の閉校がニュースとなっており、これが地域の伝統文化の存続にどれほど影響を及ぼすのかは心配なところです。
参道は下の写真のようなシンプルな1本道になっています。
この一本道は歩きやすいように舗装されています。
それから車は右側に小さな駐車場がありますので、車で来られた場合はそこに駐車して、横からINしてくる形になります。
八幡様の池、八幡池
また、この八幡様の付近には八幡池という八幡宮の名を冠した、数百年前に作られた2つからなる池があります。
この地はすぐ近くが秋吉台のカルスト台地ということもあり水に恵まれないことから、農作用に、人造池として2人の有志が私財を投げ打ち築造されました。
築造された方2名は里人が水神様としてひっそりと池の端に祭っておられます。
(※実は1つ山を越えると秋吉台であり、秋吉台と風景が違うので一見して気づかないのですが、この付近は白い石灰岩が道端から露出していたりします。その関係もあり、水は地下に流れ付近は川が限られるとのことです。)
1760年ごろ:上の堤と言われる池を、白井政光が築造
1857年ごろ:下の堤と言われる池を、庄屋溝部久右衛門が築造
100年もの間隔を空けて、偶然なのかそうじゃないのか、同じ志の2人が私財を投げ打ち開拓することは、なかなかないことではないでしょうか。
宇部市の常盤公園より規模が小さいながらも、この辺の経緯は同じ気概を感じます。
(最近、この池でブラックバスが釣れるのか、たまに釣りをされている方がおられるのですが、地元の方はこの池に特別な思いがあり、罰当たりなので控えていただきたいです。)
今では開拓が功を奏したのか、今ではこの地域はゴボウが有名で、土産屋にも多くのごぼう関連商品が並びますね。(関係あるかは別にして)
個人的な考察
今回、なぜ赤郷八幡宮と八幡池を同時に記事にしたのか?
実はこの赤郷八幡宮を見たときに、赤郷八幡宮の内には寺社池のようなものが見当たりませんでした。
多くの寺院には寺社池がセットであることが多いにも関わらず、大内氏や毛利氏が関わった寺院にも関わらずです。
これにはおそらく、赤郷八幡宮の寺社池の由来は八幡池だったのではないかと推測しています。
- 赤郷八幡宮の創建から幾分か年月が経ち、その間に幾度も干害の災害があった
- 1人目の有志が里人達の思いから立ち上がり、八幡様の池を移設して八幡池を拡張した。
- 2人目の有志が更に池が必要だとの思いから、更に池を増設した。
- お二人は水神様として八幡宮とは別に祭られている・・・。
見立てはこのような感じなのですが、勉強不足なので証明ができておりません。
まだ調査が必要かと考えています。
以上です。