山口県周南市の万役山(まんにゃく山)、「史跡 万役山尾崎」の記念碑を紹介します。
ここは松の木1本を巡って、徳山藩取り潰し改易(つまり消失)にまで発展した領地争いの場所なのです。
万役山(まんにゃく山)事件
万役山(まんにゃく山)事件とは、正徳5年(1715年)、万役山と呼ばれる長州藩内の萩本藩と徳山支藩の境界の山で発生した事件のことです。
萩本藩の農民の兄弟が自分で植えていた1本の小松を、田んぼの整備のために切って持ち帰ろうとしていました。
そこへ徳山藩の山役人(足軽)がやってきて、領地の小松を置いていけと咎めたところ、言い争いとなり農民の首を刎ねてしまいました。
それから騒ぎは藩同士の言い争いに発展しました。
双方が自領として譲らず、萩本藩は役人側が先に手を出したと言い、徳山支藩は農民側が手を出したと言います。
農民も長年自分たちの土地と思っていたので、徳山支藩の主張に不満が出ます。
長州藩内で収まらない騒ぎとなり、判断は幕府にゆだねられ、結論として「徳山藩取り潰し改易」となりました。
その後やりすぎだということで、旧徳山藩の村々から百姓・町人ら約4700人が集まり、萩藩へ直訴へ向かう、幾度の一揆の計画などあり、享保4年(1719年)に徳山藩へ旧領返還、関係者処罰となりました。
・・・という、1本の小松から始まるとんでもない大騒動があった場所です。
実は両藩とも穏便に済ませたいという意向はあったのですが、話し合いは何度も失敗しています。
いつの時代もこのようなことはあるのですね・・・。
万役山の風景
万役山の風景を撮影しました。
万役山の全体
万役山は高さ18メートル程度の小さな山です。
萩本藩では「墓の尾崎」と呼び、徳山藩側では「尾崎山」とも呼びます。
付近はなんの変哲もない閑静な町並みです。
この左側にある万役山だけがぽっこり隆起しています。
万役山山登り
万役山の横に石段があるので登ってみます。
小さいけどこれも山登りなのでしょうか、一応・・。
史跡万役山尾崎の石碑:表
山を登ると、万役山尾崎の石碑が途中にあります。
達筆で読みづらいですが、「史跡 史跡万役山尾崎」と読みます。
念のため言っておくと、墓石ではありません。
史跡万役山尾崎の石碑:右側
石碑の右側を撮影してみました。
何やら文章が書いてあります。
「この地は正徳五年(一七一五)六月徳山藩と萩藩との境界紛争発端の地也」
史跡万役山尾崎の石碑:裏
裏にも文字が刻まれていました。
「創立十五周年記念徳山地方郷土研究会平成五年九月一日建之」
石碑自体は、どうやら比較的新しいことが分かりました。
階段の先
石碑の階段の先は万役山の頂上へと続き、頂上は墓地となっているようです。
このような石碑が残されているのは、後世にこのような教訓を伝えようという何かを感じますね。
アクセス
JR山陽本線「櫛ヶ浜駅」から徒歩で20分程度です。
現在、付近は墓地なので周囲の迷惑のかからないように。
以上です。