山口県周南市の晴海親水公園にある「明治(東浜崎)の石灯台」を紹介します。
「明治(東浜崎)の石灯台」とは
「明治(東浜崎)の石灯台」は1893年(明治26年)に、当時の共栄社の代表「光永又之丞」(みつながまたのじょう)によって建立されたものです。
明治を迎えた頃、著しい発展をとげた徳山の地は海上交通の要衝となりました。
その頃に徳山港のシンボルとしてあったのが、東浜崎にあった石灯台です。
この地域では最古最大の石灯台で、県内最後の和式灯台でもあります。
石灯台は様々な理由で東浜崎 ⇒ フェリーボート基地 ⇒ 現在の親水公園に移設がされました。
明治(東浜崎)の石灯台のある風景
明治(東浜崎)の石灯台のある付近を撮影しました。
晴海親水公園
まず、周南市は日本全国5大工場夜景のある地域で、「えんとつ町のプぺル」のモデルにもなっています。
晴海親水公園はその工場夜景撮影スポットの1つであり、その中に「明治(東浜崎)の石灯台」があります。
(工場夜景撮影スポットは周南市内に10か所あります)
公園内には夜景を見る人のために、看板が設置されています。
しかし残念ながら私のカメラの性能では撮影が厳しそうです。
いいカメラをお持ちの方はぜひ周南市まで来てください。
夜は人がそこそこやってきます。
この公園は子供が走り回れるほど広く、散歩するにもちょうどよい場所だと思います。
トイレもあります。
明治(東浜崎)の石灯台の全景
さてそのような場所なのですが、この公園の端に明治時代にできた古い灯台があるのです。
建立時期と発起人の刻印
ズームして文章を読んでみると、「明治二十六年癸巳十一月建之」(癸巳=みずのとみ)と書かれているようです。
右下には発起人の名前が刻まれています。
- 「発起人 光永又之丞」
寄付者の刻印
少し右に回ると寄付者が刻まれています。
- 「寄附者 共栄社」
- 「同 有志中」
調べてみると、共栄社は大阪商船に対抗するため、徳山の有力者5人が資金を出し合って設立されたようです。
「海上安全」の刻印
海に向けて「海上安全」の刻印があります。
灯台の頭
灯台の頭はびっくりするほど和の作りです。
山口県内最後の和式灯台だとか。
以前はここが点滅していたそうです。
瀬戸内海と石灯台
瀬戸内海を背に灯台を見てみました。
残念ながら撮影時間的に逆光になりました。
知らない人からみると、灯台というより大きな灯篭?
アクセス
JR徳山駅から徒歩で20分程度です。
ちなみに駐車場完備です。
以上です。