防長民のぶらぶら放浪記

山口県内のスポットをふらっと訪れて紹介する地域ブログです。

山口県周南市の祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)を紹介

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山口県周南市の祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)を紹介します。

祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)とは

近くの立て看板がシンプルな説明で分かりやすかったので、ほぼ引用します。

(一部を赤字で補足しています)

祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)は文化8年(1811)に、長州藩の支藩徳山藩家臣一同の要望により、徳山藩主毛利家の霊社として創建されました。祭神は、もともと初代藩主毛利就降(なりたか)でしたが、後に九代藩主元蕃(もとみつ)も併祀(へいし:共に祀ること)されました。

明治7年(1874年)から祐綏神社と号し、明治31年(1898年)に郷社、大正4年(1915年)に県社に列せられました。その後昭和20年(1945年)の徳山空襲により社殿を焼失しましたが、昭和35年(1960年)に旧徳山毛利邸内にあった祖霊社を移し、再建されました。

祖霊社とは先祖を祀る社(やしろ)のことで、ここでは毛利家の社です。

祐綏神社の風景

祐綏神社を撮影してみました。

祐綏神社への道しるべ「祐綏神社道」

祐綏神社に行く途中に、実は道しるべがあります。

この道しるべは時代は定かではないようですが、かなり前からあるようです。

文字の上に、神社の方向を示す手が描かれているユーモラスな石碑です。

道しるべのある場所は桜並木通りです。

興味がある方は神社まで、桜並木通りを通っていくとよいと思います。

祐綏神社の前

祐綏神社に到着しました。

石段は10段程度で、平地の上にある神社です。

徳山の市街地は平たんなところにあるので、神社もこの通り平たんなのだと思います。

毛利家の神社なのに意外にも、親しみやすいです。

祐綏神社の鳥居

これが祐綏神社の鳥居です。

鳥居の左側に書かれているのは、「明治七年甲戌九月吉祥日」かな・・・自信なし。

鳥居の右側は旧字体で「奉獻」(奉献)。

鳥居の中心には「祐綏神社」と書かれていました。

祐綏神社の参道

 祐綏神社の参道は細くて長いです。

祐綏神社の拝殿

祐綏神社の拝殿です。

両隣は徳山毛利家の代紋が付いた提灯がついています。

(代紋は本藩に似ていますが、上の線が台形を反対にしたような形)

二百五十年記念碑

神社の向かって左側に、明治34年に有志が建立した記念碑があります。

これは徳山初代藩主就隆が、慶安3年(1650年)に下松から野上(後の徳山)に館を移してからの発展を記念したものです。

旧字体ですが、「祝改称徳山二百五十年記念」と読めそうです。

台座は右から「東船町中」と読めます。

説明にも「東船町中」と「東浜崎町中」の有志が建立という文言があったので、そのためかと思われます。

アクセス

JR徳山駅から徒歩30分程度の場所にあります。

徳山動物園の隣です。

 

以上です。