山口県周南市の児玉源太郎生誕の地を紹介します。
児玉源太郎生誕の地とは
明治時代の軍人、台湾総督として活躍した児玉源太郎の生誕の地です。
現在は公園となっておりますが、以下のものが置かれています。
- 屋敷跡 ⇒ のちに「児玉文庫」に改修されるが、太平洋戦争(徳山空襲)で焼失
- 産湯の井戸
- 児玉文庫開設百周年記念の碑
- 東宮殿下行啓紀念樹
児玉源太郎生誕の地の風景
児玉源太郎生誕の地の風景を撮影してみました。
児玉源太郎生誕の地の前
児玉源太郎生誕の地の前は、立て看板があります。
生誕の地は公園になっており、ここから公園に入ることができます。
ちなみにすぐ横に児玉家屋敷跡の石碑もあります。
また児玉源太郎の「児」の字は本来「兒」だったんですね。
公園の通り道
公園は細い通り道が整備されています。
意外に細長くて、奥まで入ることができます。
奥まで行くと「児玉文庫開設百周年記念碑」、「産湯の井戸」があります。
児玉文庫開設百周年記念碑
児玉文庫開設百周年記念碑がありました。
児玉源太郎は1903年(明治36年)、故郷の徳山で私設図書館を開設しました。
これは当時誰もが利用できる近代的な図書館で、蔵書は8000冊を超えていたようです。
しかし太平洋戦争(徳山空襲)で焼失してしまいました。
記念碑には「後進の啓発を願ってふるさと徳山に贈る」との言葉が刻まれています。
児玉文庫を開設したときの児玉源太郎の願いだったようです。
私はもはや年齢的に厳しそうです。
が、近隣の小学校や高校から日本を担う優秀な人材が出てくることを願います。
兒玉大将産湯之湯、東宮殿下行啓紀念樹
兒玉大将産湯之湯を撮影しました。
実はこの写真の左側に「東宮殿下行啓紀念樹」の碑もあります。
産湯の井戸を正面から見てみました。
ただ、柵がしてあり立ち入りができませんでした。
またここに来た人が、井戸を自由に使えるわけではなさそうです。
しばらく使っていないせいか、井戸の持ち手の先端にセミの抜け殻がついていました。
この井戸は今でも使えるのでしょうか。。
贈従四位児玉次郎彦君遭難之跡の碑
井戸の横にも何やらいろいろ石碑があります。
その一つが贈従四位児玉次郎彦君遭難之跡の碑です。
児玉次郎彦は児玉源太郎の義兄で、藩内の保守派に暗殺されていますが、その死を悼み碑を建てられています。
ベンチ
ところどころにベンチが置いてあるので休むことはできそうです。
日差しが強い季節でなければ、暇つぶしにちょうどよさそうな公園です。
アクセス
JR徳山駅から徒歩で20分です。
以上です。