コロナ禍で遠出もできないので、いつもと少し違う話題を投稿します。
何年か前、都内に住んでいたころに鶴見付近の歴史的痕跡を調べていたので、紹介してみます。
今回の記事の要約するとこんな感じです。
【記事の要約】
【目次】
JR国道駅
JR駅なのですが鶴見線といい、主要路線の京浜東北線からはずれた路線となります。
※鶴見線は山口県でいう、工業地帯へ向かう宇部線の立場に近い路線です
そのため通常、都内や横浜方面から国道駅に向かう場合は、京浜東北線の鶴見駅から鶴見線へ乗り換えて向かうことになります。
機銃掃射跡
この駅は第二次世界大戦中に機銃掃射を受けており、駅を出たすぐ横にP51と呼ばれる当時の米軍戦闘機の生々しい機銃掃射跡が見られます。
第二次世界対戦の際、日本軍は末期で余力がなくなり、日本軍から米軍の戦闘機の迎撃が困難になりました。
その隙を見計らって、通常は他の航空機の護衛に使用されていたP51が、戦闘に徴用可能とされる漁船、自動車、民間人など地上の対象も狙って機銃掃射するようになりました。
その結果、国道駅にもP51の弾痕が残ったとのことです。
下の写真の通り、ネットで現存保護されているその下に、いくつもの弾痕が見られます。
戦後77年たった今、広島の原爆ドームですら維持が困難になりつつある中で、このような戦争の痕跡を、少しでも後世に残し伝えていくことは大切なことだと思います。
駅の中の様子
ちなみに駅の改札へ向かって戻ると、高架下となっており、かつてのお店の跡がいくつかありますが、大半のお店は営業しておりませんでした。
いくつかの自動販売機があり、静かで人通りも少なく異様な空間となっております。
いつの時代のものか不明な古い看板も多く、電車を降りてから出口まで薄暗く異様な空間を歩くことになります。
駅員さんもいない無人駅なので、歩いている途中でなんだか不安になります。
ただ、映画やドラマの撮影には時々使われているらしく、有名な場所のようです。
生麦事件
またこのあたりの住所は「生麦~丁目」となります。
つまり何が言いたいかというと、時代を遡りますが、薩英戦争のきっかけとなった薩摩藩の島津久光の一行が、イギリス人を切り捨てた生麦事件の場所はここなのです。
当然のことながらこの事件により、薩摩藩はイギリスと薩英戦争をします。
そしてその後和解しつつも薩摩藩は欧米の実力を知り、明治維新への原動力となります。
その際もイギリスとの関係は武器供与を中心として継続して、明治維新へ影響を及ぼすことになります。
結果的に我々の長州藩(≒山口県)とも繋がり、意外にも関係がある原点の場所となります。
それにしても今は住宅密集地ですが、当時この場所は村落だったらしく道も狭く、言葉の違いの壁も大きかった事件なのでしょうね。
近くに、生麦事件の石碑があるとのことでしたが、残念ながら発見できませんでした。
いずれ新型コロナが収束してきたら、また行ってみたいですね。
以上です。