以前、山口県内の宰判勘場一覧を調べておきながら、個別の勘場について、現地の様子を記事にしていませんでした。
今回はそのうちの現在の山口県下松市にある花岡勘場跡について記事にしてみます。
現地調査は思わぬ事実に当たることがあるので大切です。
花岡勘場跡の場所
場所としては花岡八幡宮の近くになります。
付近に設置されていた看板によれば、当時は山陽道の要衝で参勤交代時に使用するため、宿泊所(御茶屋)も勘場に置かれていたとのことです。
そしてその、宿泊所には毛利敬親公も宿泊されたとのことです。
現在は下松市の中央から外れるため、周辺は少し寂しい風景ですが、当時は参拝客、参勤交代、勘場で賑やかだったのかもしれません。
花岡勘場石碑
手前には真新しい記念碑があり、明治100年記念に建てられたようです。
奥の石碑は「天然記念物花岡ノ槙柏(しんぱく)」と書かれています。
下松市の市指定の天然記念物で、市の説明によればヒノキ科の常緑針葉高木の「ビャクシン」であり、樹齢480年を超えるそうです。(※一時期は国の天然記念物でもあったようです。)
こちらの大木については後述します。
大砲2門
勘場の中には大砲が2門置かれています。
野外に野ざらしです。
もしかしたら大量に保存されていて、歴史的にはそれほど貴重なものではないのかもしれません。
春雨桜(しゅんうざくら)
紛らわしいのですが、奥にある建物の屋根を超えるほどの大木は先ほど記述の「天然記念物花岡ノ槙柏(しんぱく)」であり、春雨桜ではありません。
残念ながら当時の桜は枯れ現存しておらず、現在は新たに小さな桜が植えられたとのことです。
桜の木に疎いのでどの木が桜なのかは不明でしたが、看板の付近に木があるのだと思われます(左だろうか・・・)
付近に設置されていた看板によれば、春雨桜の「春雨」とは毛利敬親公の雅号とのことでした。
かつて毛利敬親公が萩を出発し江戸へ向かう途中、病にかかりこの花岡勘場で静養されました。
その時に心を慰めた桜がこちらの桜で、敬親遺愛の桜ということで春雨桜という名前となったとのことです。
勘場跡の全体像
全体を遠くから俯瞰してみて気が付いたのですが、花が咲く植物でいっぱいである印象の勘場跡でした。
後年になって、近所の方や管理人の方がお花を植えて華やかな憩いの場にしたと想像しています。
いまや幕末の血なまぐさい時代ではなく、武器を持って戦う時代ではなくなりつつあります。
かつての長州の目指していた姿は昔の姿であり、花が咲き大砲が朽ちていく姿がもしかしたらこれからの目指すべき国家の姿なのかもしれません。
以上です。