錦帯橋周辺を散策したのですが、その途中に胸像があり、こちらの方がどのような人物か、その人物像について調査してみました。
田中穂積先生の胸像の場所
胸像は錦帯橋を渡って、ロープウェーに向かう途中にあります。
錦帯橋を渡って、吉香公園をロープウェー方面に向かいますが、少し道から外れた位置にあります。
吉香公園の胸像の正体
この銅像の主は田中穂積先生という方だそうです。(せっかくなので今回は胸像の台座に刻まれた敬称に従って、先生付で説明いたします)
出身は、ここ岩国市横山なのでちょうど岩国城がある一帯になります。
この胸像の近くには楽譜も彫られていて、近づくと近くのスピーカー「美しき天然」のメロディーが流れてきます。
ちなみに楽譜の部分はJ〇〇〇〇Cにいろいろ言われるのではないかと心配なので、写真の一部をけずりました。
現地ではメロディーと歌詞がセットなので、現地で閲覧すると良いですよ。
田中穂積先生の略伝
現地の看板やその他さまざまな資料によりますが、大方下記の内容になっておりました。
江戸の終わり~明治に渡る戦時の時代背景を想像できる生きざまですね。
- 安政2年岩国市(当時は江戸時代のため、岩国藩)に誕生。
- 父は田中判右衛門、母は黒杭氏。
- 明治6年海軍音学区隊に入り発展に貢献した。
- 明治天皇の側近奉仕し、海軍軍楽長となった。
- 私立佐世保女学校で音楽を教授中に「美しき天然」を作曲した。
- 心臓の病気により、佐世保海軍病院で永眠した。
作曲した曲
以下の曲を作曲していたとのことです。
曲名から、田中穂積先生の生きていた時代の時代背景がうかがえます。
- 不朽の名曲の「美しき天然」
- 日本初のワルツと言われています。
- 「黄海海戦記念記念行進曲」
- 「如何に狂風」
- 「南洋航路路行進曲」
代表曲の曲名、「美しき天然」の読み方は”うるわしきてんねん”、または”うつくしきてんねん”などと言われていますが、所説あり定かではありません。
また、軍艦マーチの原曲も田中穂積先生の作曲と言われているそうです。
ロープウェイのからくり時計からも・・・
実はこの胸像だけでなく、ロープウェイの山上のからくり時計からも、「美しき天然」のメロディーが定期的に流れます。
こちらもまた異なった趣がが感じられ、ロープウェイの待ち時間にお勧めです。
長崎佐世保の女学校教授時代に作曲されたようで、歌詞からさぞ佐世保の風景が素晴らしかったのではないかと想像されます。
以上です。