防長民のぶらぶら放浪記

Uターン転職した山口県民が、山口県内のスポットを紹介するブログです。

山口県周南市の龍神社(荒神)を紹介

偶然近くを通りかかったのですが、GoogleMapに載っていない神社を見つけたので、記録に残すことにしました。

龍神社(荒神)

祭神:綿津見社(わだつみのかみ)

  • 綿津見とは日本神話に登場する、海の神三神で最初に生まれた神様です。

 

現場の看板を読んでみると、龍神社についていくつかの情報が書かれていました。

この龍神社は昔この一帯が海であったころに開作するため祀られたものと思われる

「思われる」という文末だったので、察するに、龍神社が建てられた経緯がよくわかってないようです。

ただ、いくつかのことはわかっていて、

  • 石段手前の碑は宝永3年に開作築立人の松村宗俊が建てたもの
  • 石灯篭は安政4年に国広永作が寄進したもの

祠は

  • 左が三宝荒神
  • 右が馬上の祠

とのことでした。

神社の風景

上記の看板から得た知識をもとに、神社の風景を見てみました。

全体撮影

不思議なことに神社全体は、山の上に祠がいくつか乗っている形態です。

神社に詳しくないのですが、これは初めての形態です。

 

先ほどの看板の内容を踏まえて、写真を見てみます。

左が三宝荒神の祠、右上が馬神の祠、右の灯篭が国広永作が寄進した灯篭のようです。

手前に「奉納法華一部一字一石」と書かれた碑がありました。

これが付近の看板に書かれていた松村宗俊が宝永3年に建てた碑であり、何気に貴重な碑のようです。

そういえば、「法華経」は仏教だったような気がしないでもないですが、「一字一石」とは一つの石に一字ずつ経文を書く、昔の風習のようです。

こういうのを見ると、神社に仏教の風習が混じっていたり、祠がいくつも乗っていたり、情報量が多い神社です。

石段

石段が整備されているので、登ってみることにしました。

造りからしてもこれもなかなか古そうです。

石段の上

頂上には祠があり、木が植えてありました。

木の上にはやたらと蝶が舞っています。

平和です。

この飛び交っている蝶はアオスジアゲハでしょうか?

自信がないので、蝶について詳しい人はコメントをください。。

頂上の祠と灯篭

さて、頂上で祠を撮影し損ねたので、下から撮影しました。

手前の灯篭も撮影できました。

よくよく考えると、付近にこのような石は他に見当たらず、わざわざどこからか集められたものだと思うのですが、無学なため解釈ができないでおります。

お地蔵さん

横にお地蔵さんもありました。

これは解説になかったのですが、後世に建築されたものでしょうか。

アクセス

アクセスする際は、付近に龍神社はいくつかありますので、間違わないように注意が必要です。

こちらは山陽本線の裏手の、小さな通りのほうの龍神社です。

最初に述べたようにGoogleMap上に載っていない神社だったので、付近を載せてみました。

駐車場等はなく、道は狭いので徒歩で行くことになるかと思います。

ちなみに山陽本線が近いので、電車は間近で見ることができます。

以上です。

山口県長門市の湯本温泉にある礼湯と恩湯を紹介

山口県の長門湯本温泉といえば、600年の歴史を誇る山口県最古の温泉です。

その中でも特別歴史的に長い、礼湯と恩湯を紹介してみようかと思います。

礼湯と恩湯

礼湯と恩湯の関係

長門湯本温泉には礼湯と恩湯という泉源があります。

この2つの泉源はかつて、礼湯は武士や僧侶向け、恩湯は一般大衆向けという棲み分けがされていました。

特に礼湯のほうは”俗人禁制”の、特別な温泉でした。

位置関係

こちらが、礼湯と恩湯の存在したあたりの風景です。

長門湯本温泉は全体がきれいに改修されましたので風景が変わってしまいましたが、礼湯が坂の上の道沿い、恩湯が川沿いにありました。

礼湯

ではまずは礼湯を見ていこうかと思うのですが、残念なお知らせです。

こちらは2019年3月31日に営業終了です。

 

え?歴史の話かと思っていたら営業してたの!?と思った人もいるかと思いますが、営業していました。(私も長門のほうは疎くて、営業状況を知りませんでした・・)

 

というのも、冒頭腕は武士や僧侶向けだったと記述したのですが、近年は公衆浴場として誰でも入れたのです。

今はどうなっているかというと、源泉の場所を示す石だけになっています。

礼湯泉源を示す石

この石は泉源を示す場所に置いたあったものですが、私が知らないだけで、何か意味がある石なのかもしれないです。

石碑

石碑もありました。

「礼湯泉源」と、普通のことが書かれていました。

礼湯跡地の全体

全体を見た写真を撮影してみました。

昔の風景を知っている方は、思い入れから立ち止まるかもしれません。

ただ、観光に来られた大方の人はこれが何なのか分からず、スルーしている印象でした。

過去の泉源ということで、どこかに温泉が出てるのかと思いましたが、そうでもないみたいです。

恩湯

一方の恩湯、こちらは建物がきれいに改修され、今でも立ち寄り湯として営業されています。

以前もにぎわっていたという話でしたが、この日も大賑わいです。

ですので、全面的に撮影すると不審者ですので、看板のみの撮影で控えました・・・。

 

岩盤から温泉が出てくるところを直接見ることができる、とても面白い温泉だとのことです。

ただ、この記事を書くにあたって現地に行ったり、調査していて気付いたのですが、恩湯の窓と以前書いた公衆洗濯場は繋がっているようです。

www.dojo.love

実はこの日は入っていなかったのですが、いつか恩湯に入って確認してみたいものです。

アクセス

礼湯と恩湯もJR美祢線の長門湯本駅から、徒歩10分程度の場所にあります。

礼湯

恩湯

以上です。

山口県柳井市のカニを守る白壁の町並みを紹介

山口県柳井市と言えば白壁の町並みが有名で、古くからの町並みが保存された状態です。

ただ、この街には古くからの建物とともに、足元にも昔からの住人がいるのです。

※時季外れですが、少し前に訪れたときの記録です。

白壁の町並み

山口県柳井市と言えば白壁の町並みが有名で、下の写真のように「重要伝統的建造物群保存地区」として大切に保存されています。

保存地域の端から先を見渡すと、江戸時代を思わせるような風景と金魚ちょうちんが並んでいます。

金魚ちょうちんは青森との関係もある江戸時代からの特産品です。

看板「かにが路上を横切ります。人も車もご注意を」

しかしこの保存地域を歩いていると時たま、歴史的な白壁とどんな関係が?と思わせるような不思議な看板を見かけます。

「かにが路上を横切ります。人も車もご注意を」

掛屋小路付近

掛屋小路の入口あたりの看板です。

国森家住宅

こちらの看板は「国森家住宅」の付近にありました。

醤油屋前

柳井市一番の醤油屋の前にもあります。

こちらの看板は少し新しいですね。

白壁の町並みに溶け込むカニ達

ではそのカニ達はどこに住んでいるのでしょうか?

どうやら水路の近くでよく活動するようです。

 

雨が降った後だと人通りの多い道に出るようなので、人も車も通行に注意が必要です。

また、むやみやたら触らずそっと遠くから見守ることにしましょう。

「国森家住宅」の付近

カニ注意の看板の近くだけあって、「国森家」の近くではちらほら見かけました。

少し湿った水路があることが恐らくその理由で、そこに集中しているようです。

せせらぎ水路付近

私のお勧めは「せせらぎ水路」です。

こちらは大きな水路のためか、大きなカニも小さなカニもたくさんいました。

なにげにこちらの水路の近くは、カニが多くて観察におすすめです。

カニの生態を知るにはとても良い環境だと思いました。

ちなみに柳井川までいくと、あまりいませんでした。

原因は分からないのですが、大きな川は流れが激しく深いためか好まれず、住宅街の水路のほうが多いようです。

カニ達の正体

ではこのカニ達は何者なんでしょうか?

このカニ達の多くは、アカテガニだとのことです。

アカテガニは甲羅が3cm程度で手が赤いのが特徴で、海の近くに住むカニです。

 

アカテガニが近年減少中のため、看板を立てて市民活動で大切に保護されているようです。

また、柳井川も昔は油商船が行き交う川だったのですが、以前の形よりだいぶ変わっているとの話を、付近の住民の方から伺いました。

アクセス

場所はJR在来線 柳井駅から徒歩で10分程度の地域になります。

カニを見るなら5月から10月の雨の日がベストですが、伝統的建物を見るのであれば晴れの日がベストです。

 

以上です。

 

山口県岩国市の酒造屋のおいしい水、巌流井戸を訪ねてみたので紹介

山口県岩国市の巌流井戸を訪ねてみたので、紹介してみます。

新幹線で新岩国駅に立ち寄った際には、村重酒造でお酒を購入して、おいしい水も持ち帰るといいのではないでしょうか。

※ちなみに、後々説明しますが、巌流という名前は下関の巌流島とは関係ありません。

巌流井戸とは

村重酒造株式会社が酒造りに使用している錦川の伏流水の井戸水です。

錦川の流れは大変厳しく巌流と呼ばれていたことから「巌流井戸」と命名されています。

 

錦川は時に荒々しい姿を見せる川ですが、その上に架かる錦帯橋は美しく、伏流水によってお酒や(別のお店ですが)漬物などの恵みをもたらす、岩国一の川でもあったりするのです。

巌流井戸の風景

巌流井戸の周辺を撮影してみました。

巌流井戸の前

巌流井戸は酒造屋の端にあります。

このように巌流井戸の前には、堂々と「ご自由におくみ下さい」と書かれています。

何とも太っ腹です。

お酒の名前

上を見上げると「金冠黒松」と書かれていました。

私はお酒を全く飲めないので分からなかったのですが、こちらの酒造屋の目玉商品のようです。

お酒を飲める人はお酒の購入もいかがでしょうか。

蛇口1

巌流井戸の水は、蛇口から手軽にくむことができます。

蛇口だとあまり風情は感じられないかもしれないですが、よくここで水をもらう人にとっては蛇口のほうが良いかもしれません。(回転率早いですしね)

私が来た日も、多くの人が水を求めて訪れていました。

蛇口2

蛇口はたくさんありましたので、駐車場がいっぱいの人でもそんなに順番を待たなくても大丈夫でした。

さりげなく蛇口の前に「錦の酒粕販売中」と書かれています。

井戸?

蛇口の近くには、このように謎の井戸がありました。

こちらが元々の井戸だったのでしょうか。

また、板が置いてあるということは、こちらも水が出てくるのでしょうか。。

掲示板

もう少し拡大して撮影すればよかったのですが、掲示板に

「この仕込み水は、生水の為冷蔵庫での保存をしていただき、約1週間程度でご使用して下さい、お願いいたします。」

ということが書かれていました。

巌流井戸へのアクセス

巌流井戸は新幹線の新岩国駅の出口から御庄川のほうへぐるっと回って、10分程度の場所にあります。

駐車場は5台程度停まれますが、大体埋まっていますので、村重酒造(株)の駐車場に停めて買い物して、ついでに井戸で水をくむ感じが良いでしょう。

(何度も言いますが、ここは村重酒造さんの提供する井戸です)

 

水を汲めるのは8:00~17:00なので、明るいうちに行きましょう。

 

以上です。

 

山口県下松市の笠戸島の外史公園を紹介

山口県下松市の笠戸島にある外史公園を紹介します。

国民宿舎に宿泊した際に気軽に行ける公園となっています。

外史公園の様子

外史公園を下から覗く

外史公園は公園とは言うものの、小高い山となっています。

ホテル側と反対の駐車場側が階段でつながっています。

外史公園の入口

笠戸島随一のホテル側に階段があり、ここから登るとよいでしょう。

私もここから登ってみました。

頂上への道

中々の急坂ですが、万全の体調であれば登れないこともないです。

道はしっかりしているので恐らく雨の日でも大丈夫そうで、手すりを持てば息切れもせず登れます。

外史公園の頂上

頂上まではわずか5分?、いや、おそらくもっと短い時間で登ることができます。

ここは見晴らしがよい公園で、周りの海を見渡すことができます。

長岡外史の像

この小さな外史公園の由来となった、長岡外史さんの像がありました。

ひげがとても立派で、市街地のほうを向いていました。

時たま、頭の上に鳥が止まるのが印象的です。

横には説明書きのようなものがありましたが、時が小さくよく読めませんでした。

(ごめんなさい)

三笠宮寛人親王殿下の柱

「三笠宮寛人親王殿下」と書かれた柱がありました。

この公園はよほど髭に由来がある人が集まるのでしょうか。

まあこんな話をしても、一部の人にしかわからないでしょうが・・・。

 

こちらの木は、その時に植樹されたのでしょうね。

笠戸湾

反対側は市街地を見渡せる笠戸湾です。

それから笠戸島の山と、海沿いに市街地から来た時の道が見えます。

また、公園の反対側の第二駐車場も見えますね。

長岡外史像建設御芳名

様々な名だたる名前が長岡外史像の建設の御芳名として記載されていました。

オーストリア大使館、ドイツ連邦共和国大使館、アメリカ大使館・・・

由来となっている長岡外史さんを紹介

なぜ笠戸島に長岡外史の像があるのか・・それは不明なのですが、長岡外史さんは周防国都濃郡末武村(現・山口県下松市)出身の軍人です。

彼はまた萩明倫館の卒業生でもあり、れっきとした長州藩の出身です。

主な功績としては、下記のようなことが挙げられます。

  • オーストリア軍軍人レルヒからスキーを学びスキーを民間に広めた。
  • 国内航空路の開設や、羽田への国際空港の建設を提案するなど、航空事業の発展に努めた。

また、特徴的なひげは、世界一の長さを誇り、航空関係の事業のことも相まってプロペラひげなどと呼ばれていたようです。

外史公園へのアクセス

山口県下松駅からは車で10分くらいです。

歩道は細い場所があり、車以外だとやや危ない感じがします。

以上です。

 

山口県下松市の笠戸島の奥にある深浦八幡宮を紹介

少し前に撮影ですが、今回は山口県下松市の笠戸島の奥深くにある深浦八幡宮について紹介します。

下松市の奥にある地元向けの八幡宮のためか、あまり大々的にアピールされていませんが、立派な八幡様がありました。

深浦八幡宮とは

ご祭神は、近くの看板によると下記のとおりです。

  • 応神(おうじん)天皇

  • 神功(じんぐう)皇后、

  • 比売大神(ひめのおおかみ)、

  • 三女神

    • 田心姫命(たごりひめのみこと)

    • 端津姫命(たきつひめのみこと)

    • 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

あとは由緒についていろいろ書かれていたのですが、字が薄くなっており読めませんでした。

ただ、八幡宮のため宇佐八幡宮より分霊されたというのは間違いないと思われます。(雑ですみません・・)

深浦八幡宮を入り口から紹介

では深浦八幡宮を見ていきましょう。

鳥居

道路沿いに立派な鳥居がありました。

趣旨と違うので撮影するか迷ったのですが、大戦後に地元の方が持って帰ってきたものと思われる、30cmぐらいの砲弾も奉納されていました。

興味がある人は見に行くといいかもです。

石段

鳥居を抜けると左には海が見え、右は山の急斜面が見える石段がありました。

神社の石段というものは歳を重ねるごとに足腰の痛みを感じ、体調が悪いときは苦行だと感じることが多いです。

しかしこちらの石段は風光明媚であり、人も少ない故に急かされることもなくのんびり楽しく登れるところでした。

倒れそうな鳥居

今にも倒れそうな、鳥居(?)がありました。

少し古い八幡宮のため多少の石段の水はけや草は、仕方ない気がします。

しかしここだけは倒れたときに命に関わりそうなので修復が必要だと思われます。

八幡宮から見た海

ちなみに石段の左から見える景色は、このように漁港が見えます。

魚釣りをしている人がいました。

石段の上

石段をひたすら上ると、立派な八幡様が見えました。

写真だと少し遠くでわかりづらいですが、おみくじも引けるようです。(お代は賽銭箱に投入です)

石段を振り返った光景

境内を登りきったところで石段を振り返ると、なかなかの急坂です。

手すりが整備されているので、しっかり持った方がいいです。

深浦八幡宮の空

空は木に覆われ、厳かな雰囲気です。

また木々の間から漏れる太陽の光が美しいです。

深浦八幡宮本殿

近寄ってみると、少し古びた感じで決して豪華絢爛とはいえないですが、威厳のある島の八幡様だと感じました。

アクセス

こちらの八幡さまは、笠戸島の奥の深浦の小さな漁港の中にあります。

アクセスは電車は当然ないので、車になります。

 

以上です。

山口県下松市の笠戸島に沈むコンクリート船を紹介

山口県下松市の笠戸島には夕日岬という夕日の名所があります。

ここは夕日の名所でもあるのですが、一方で同時に戦争の遺構も見える場所でもあります。

今回はその遺構について記事にしてみました。

 

夕日岬とは

夕日岬は「ゆうひみさき」と呼び、西日本屈指の夕日の名所として知られている場所として知られています・・・という内容の看板がありました。

カメラの撮影位置

地面を見てみると、なんとカメラで撮影するとよいですよという位置まで指定されています。

私も遠慮なくこの位置から撮影してみます。

 

するとこのように夕日が撮影できるというわけでした。

看板の撮影例の夕日は、この写真の先に見える島と島の間をズームして撮影したようです。

空を見上げると、雲が出てはいるものの夕日がきれいな日で、頭の上の青々した空と水平線のオレンジの光がとても綺麗でした。

この木は恐らく桜の木で春になると綺麗なのではないかと想像しています。

コンクリート

さて、長い前置きは以上として、ここからが本題です。

ここ、夕日岬から見える砂浜に、何やら難破船のようなものがあるのです。

夕日にカメラを合わせるとなかなか気づけないのですが、砂浜にカメラの中心を合わせると見やすくなります。(カメラに詳しくないので、適切な言葉がよくわからないです)

私の安いカメラで砂浜にズームしてみると、明らかに舟ですね。

材質はコンクリートのように重そうです(というかコンクリートです)

コンクリート船の謎

このコンクリート船の正体は、第二次戦争中に鉄材が不足して船の製造ができないときに油を運ぶためのタンカーとして製造されたものです。

曳舟という操舵室、スクリュー等はなく自力で走行できずに他の船に引っ張られる専門の船です。

同様のコンクリート船が5隻製造されたものの、実際に運用されることなく、このように打ち捨てられることになったとのことです。

 

まあこの辺までが一般的に現地の看板などで語られる話なのですが、実はコンクリート船は日本だけの話ではありませんでした。

戦争中の鉄材の不足はどの国も同じで、ドイツやイギリスでもコンクリート船は運用されていたようです。

ただコンクリート製は重すぎるのか燃費はよくなく、日本では一時的なものだったのでしょうね。

夕日岬の場所

山口県下松市にある笠戸大橋を渡って、すぐ先にあります。

道は細いわりにくねっており車通りも多く歩道もないので、車で行くのが無難だと思います。

駐車できる場所が限られており、3~4台ぐらいが限度なのでバイクが一番いいかもしれません。

以上です。

 

山口県下松市の笠戸島の端っこにある巨大サイコロを観察してみた記録

山口県下松市には車で橋を渡って渡れる笠戸島という島があり、その島の端の深浦には海の中に鳥居があったり、漁港があったりします。

この付近は何かとお店や観光地が限られているのですが、そんな場所に行って緊急事態が訪れても役に立つ便利なサイコロがあったため、今回はそのサイコロを紹介してみようかと思います。

大きなサイコロ

ここ笠戸島の深浦の深浦の駐車場は、島の奥にある海の上に立つ鳥居を見に来た人が停まる駐車場となっています。

一見何もない広場なのですが、奥に怪しいサイコロがあります。

駐車場全体

駐車場全体はだだっ広く、たまに地元の人や観光客と思われる車やバイクが来ます。

4つの赤い点

近づくと白い壁にいくつかの赤い点がついています。

白い背景に赤い丸が複数個・・・決してお菓子のキャラクターの「ぷっ○ょくん」ではありません。

赤い点と煙突

こちらは5つの赤い点と、煙突らしきものがあります。

先ほどと点の数が違うところはありますが、煙突らしきものを除けばどう見てもサイコロです。

天井は丸が何個あるのでしょうか。

サイコロの正体

こちらは2つの赤い点と、手洗い場があります。

そうです、このサイコロの正体はトイレです。「ぷっ○ょくん」ではありません。

 

建てられた経緯は不明ですが「サイコロトイレ」と呼ばれていて、市が昭61年から譲り受け管理をしているとのことです。

2020年末にボランティアによって塗りなおされたとのことで、とてもきれいですね。

ここでこのサイコロを利用した感想を述べたいところですが、他の観光客がいる手前利用はしませんでした。

中は男女共用でボットン式なのですが、トイレを急ぐあまり男女でかち合ったら気まずいかもしれないですね。

そういえば、煙突らしきものがあったのですが、それもボットン特有ものですね。

 

そしてトイレを熱心に撮影する不審者・・・。

裏側は入り口なので撮影を自粛しましたが、そちらもサイコロの断面をしていました。

さいころの場所

こちらのサイコロのある場所は笠戸島の中なのですが、だいぶ奥地になるので自家用車で向かうのが良いかと思います。

途中に温泉ホテルなどがありますがそこを過ぎると、しばらく工場や漁港などがある感じです。

風景はきれいなのですが、行き来は大変です。

市街地から少し遠いですが、付近にはこのような美しい湾と、海に浮かぶパワースポットの海中鳥居があるのでぜひ観光に行ってみるとよいかと思います。

 

以上です

 

山口県山口市の湯田温泉の源泉の場所:温泉舎(ゆのや)を紹介

湯田温泉には7つの源泉があり、非火山性でありながら62~73度で、毎日2000トンものお湯が湧き出ています。

湯田温泉の源泉の場所の多くは非公開なのか、なかなか見当たらないのですが1か所だけ観光客向けに公開されているので紹介してみます。

湯田温泉とは

山口県山口市にある温泉で、古くから防長四湯の1つとして山口県では親しまれている温泉です。

(ちなみに他の三湯は湯本、俵山、川棚ですが、個人的には俵山が温泉地の風景がきれいに保存されており最も好みです)

毛利家や明治維新の志士達の利用もあり、歴史的な繋がりもある温泉地です。

また、傷ついた白いきつねが使っていたという伝説があることから、街中にきつねのオブジェが置いてあります。

温泉舎(ゆのや)

温泉舎という施設で湯田温泉の源泉を観察することができます。

なお、源泉の受湯槽の他に飲泉場も設置されております。

源泉の受湯槽

受湯槽の中には窓が設置されており、湧き出た温泉を見ることができます。

ガラスを触ると、ほかほかと暖かく冬はここで暖をとることができます。(あまりやりすぎるとみっともないですが)

水温計

横に水温計が設置されており、水温が分かります。

現在の源泉の水温は62度ぐらいで、ガラス越しに触ってたからよかったものの、直接温泉を触っていたら火傷していましたね・・。

ただ、湯田温泉は場所によっては73度ぐらいになるので、こちらは低いほうになります。

飲泉場

ちなみにコップを持ってくる必要がありますが、温泉を飲むこともできます。

午前7時~午後10時までなのですが、時間帯が広すぎていつでも飲める気がしますね。

なお、直接口を付けて飲むのはやめましょう(手で触ると、とても熱かったです)

検査結果書

何度か実施された検査結果も張られておりましたが、もちろん正真正銘の温泉です。

ここで気が付いたのですが、よく見ると令和4年6月16日は水温が72度となっていました。

しかし、私が訪れた日は先ほどの写真の通り、62度ぐらいでした。

貼ってある検査結果を詳しく見てみると、温度が上がったり下がったりしているのに気づきました。

抜粋してみると、下記のとおりです。

  • 令和2年10月29日→63.9度
  • 令和4年06月16日 10:00→ 72度
  • 令和4年08月03日 10:00→ 64度

季節によって変化している感じでもなく、定期的に観察すると面白いかもしれないです。

他の成分も見比べると何か発見があるかもしれませんね。

湯田温泉の源泉の場所

ホテル喜良久の隣に温泉舎がありますが、少し目立たない位置にあります。

移動時間は、湯田温泉駅から徒歩でほぼ直線に移動して10分程度です。

 

以上です。

解体が確定した下松市の笠戸島ハイツの現地を確認した記録

長年休館していた山口県下松市の笠戸島ハイツが、2023年中に解体されると決まったとのことで記録を残すべく現地に撮影に向かってみました。

このような施設があったことを紹介してみます。

笠戸島ハイツとは

建築家の黒川紀章氏が設計をされ、昭和50年に営業開始した宿泊施設です。

部屋数は26室、最大人数は74人宿泊可能であり、夕日が沈むはなぐり海岸を一望できる最高のロケーションにあります。

年代によっては宿泊された方も多いのではないでしょうか?

 

実は解体決定後の2021年末、テーブル、いす、ベッド、食器、小型冷蔵庫などの備品を一律100円で販売されていましたが、残念ながら市民限定の販売会のようでした。

笠戸島ハイツの記録

施設内は通行止めなので、外からですが解体前に写真を撮っておきました。

全体像

まずは全体像です。

本当はドローンで撮るとよさそうですが、もちろん私にそんな機器はないので、はなぐり海岸から撮影してみました。

山の上にちょこんとある左の丸い建物と、右の角ばった建物はどちらも笠戸島ハイツです。

こうしてみると、全体は山の一角を占めるなかなか大きな建物です。

建物の入口

今度ははなぐり海岸から移動して、建物の入り口から撮影してみました。

ここは通行止めなので、もちろん手前からです。

あちこちに草木が生え、アスファルトは割れ、建物の外壁は剥げており、さすがに老朽化が感じられます。

実は笠戸島ハイツが営業していた時の入り口は裏に回る道路があって、そちらから入ります。

本当はそちらを紹介したいのですが、残念ながらそちらも通行止めです。

宿泊経験のある一部の方はそちらが懐かしいのではないかと思われます。

建物左側

左側を撮影しましたが、長年放置されていたためか、草木が伸び放題になっています。

倉庫?らしきものはなぜか開け放たれています。

建物右側

こちらも左右同様で、草木が伸び放題です。

白いものは、給水設備でしょうかね。

笠戸島ハイツの前の歩道

草木が歩道まで伸びてきています。

かつてはここも笠戸島ハイツへの人や車の往来があったものだと思われます。

今は海水浴場か、話題の国民宿舎のほうへ向かう車をよく見かけます。

まだ車が通るだけ、生きた観光地なんだなと思わせます。

というか、こんな文章ばかり書いていると廃墟マニアみたいですが、私のブログは別に廃墟を巡るジャンルではありません。

場所

下松市の笠戸島に入って車で5分ぐらいのところにあります。

バスは一応通っていますが、下松駅に電車で来られた方はタクシーで移動するのが楽だと思われます。

すぐ近くにはなぐり海水浴場があります。

いずれにしても更地化し、新たな施設の建設の予定とのことなので、寂しいですが期待はしていきたいですね。

 

以上です。